2012年5月20日 (日)

十輪院本堂の組物

用事で奈良へ行ったついでに、奈良町の十輪院に寄ってきました。

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鎌倉前期に建立された本堂は、背後の石仏龕に対する礼堂となっており、日本では大変珍しいものです。本尊の地蔵像が平安末頃に作られ、鎌倉前期に石仏龕として整備されて礼堂としての本堂も建てられ、さらに鎌倉後期になって、石仏龕の覆屋と本堂が接続されたとのこと。この仏堂は前面を住宅風に蔀戸とし、ゆるい屋根勾配も相俟って、穏やかで落ち着いた風情に意匠がまとめられているので、個人的には奈良の中でもいちばんのお気に入りです。

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鎌倉時代前期に遡る遺構らしく、大面取りの角柱や、原初的で標本的とも言える本蟇股などが見られる一方、輸入されて間もない南宋様式(大仏様)の木鼻も見られ、ディテールもなかなか興味深いものがあります。

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特に珍しいのは、軒のディテール。肘木の先端を軒先側に延長し、直接軒桁を支えるという構法は、寺院建築の組物の常道から外れており、非常にユニークな手法だと言えます。なぜこのような納まりになったのでしょうか?

通常、柱位置より一手出た位置で軒桁を支えようとする場合、肘木先端に巻斗と秤肘木を載せ、さらにその上に巻斗を三つ並べた上で軒桁を受けます。ちょうど、こんな感じ↓

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出組と呼ばれる組物で、これは三十三間堂(京都・1266年)のものです。一見してイカツイ雰囲気になっていますが、重要なのは組物と軒桁の高さの関係です。出組にしてしまうと、壁付きの三斗よりも一段高い位置の三斗で桁を受けることになるので、軒高がその分高くなりますし、壁つき部分でも、三斗上に通肘木を介してさらに巻斗と実肘木を重ねて高さを稼いだ上で桁を支える必要が出てきます。部材も手間も余計に必要な上に、軒高も高くなり、より威圧感のあるデザインになってしまうわけです。

そんなわけで、おそらく住宅風の優しい外観にまとめあげるために、いかめしい組物を見せずに軒高を抑えることを意図して、この特異なデザインが採用されたものと想像します。もちろん手間や材料費の節約という側面もあったかとは思いますが、一方で軒を支えるのに垂木を用いず、厚板で屋根荷重を受けている点などは、優しげな表情にまとめるためにあえてコストがかかりそうな手法を取っているようにも思えるので、経済的な要因がすべてではないように感じます。鎌倉時代の工匠の、デザインに対する執着や意気込みを感じさせる建築ですね。

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2012年5月 7日 (月)

旧門司郵便局電話課庁舎(門司電気通信レトロ館)

先日、門司に行ってきました。

近代建築の保存活用を軸に町の再生を図っている門司港レトロ地区は、整備事業の開始から20年以上経過しましたが、観光化の度合いがほどほどなので、静かに建築探訪を楽しみたい人にもオススメな場所です。

なかでも個人的にいちばん興味深かったのは、大正13年(1924)に建てられた旧門司郵便局電話課庁舎(現・門司電気通信レトロ館)。日本における初期モダニズム運動を牽引した分離派の一員、山田守の設計です。

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柱と方立をリズミカルに配置して垂直性を強調したファサードをつくり、細長い窓を配置し、交差点に面した角部分は丸くするなど、歴史主義的な装飾を一切廃していながらも、よくデザインされた印象的な外観を構成しています。

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エントランス部分のデザインも独特。ファサードの窓の上部と同様の形で入口全体をまとめ、鼻のように突き出した三角錐の庇を設けています。また、足元部分では、石造の窓台を起ったような膨らみをもたせながら大きく傾斜させたり、、車除けの石も上部を丸く加工するなど、機能一辺倒でない造形性を感じさせます。表現主義的といわれる所以でしょうか。ちなみにこの車除けの石同士は、もともとポールで連結されていたのですが、のちの改修でポールが取り除かれています。今では門司港周辺の旧門司三井倶楽部や旧大阪商船ビルの付近などで、同じデザインの車除けが採用されています。この手の形は、同時期に建てられた山田守の代表作・東京中央電信局のデザインを彷彿とさせます。

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左は1階の展示室部分。電話通信に関する様々な展示がなされています。現在は上部の配管がむき出しですが、オフィスだった時代には、空調の吹き出し口の高さで天井が張られていたのでしょう。右は現在ギャラリーなどとして利用されている2階部分で、ちょうど交差点に面した角を丸く仕上げている部分。天井近くまで窓を開け、明るい空間です。館長さんのお話では、天井に蛍光灯を付けると無粋になるので、改修時に柱に照明を付けたのだとか。

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左は1階の天井(2階の床スラブ)を見上げたところ。2階の天井部分もそうですが、天井・床スラブと壁・柱との取り合い個所では直角に接合させずに、ことごとく丸みを持たせて接合部のラインを消していて、設計者のこだわりを感じます。単に柔らかな印象にしたいというだけでなく、待庵の室床のように、奥行の限界を明確に見せたくないのかもしれません。右は階段室を見下ろしたところ。中央の楔型の吹き抜けが結構効いていて、下層からも光が上がってきます。なお、この階段の踊り場は外壁面から少し離してあり、ファサードの縦長窓を邪魔しないようにしてあります。

全体として、細部が実に丁寧にデザインされている印象で、昔のオフィスビルの質の高さを実感しました。細部に味があるし、建築全体を見てもかっこいい。館長さんによると、この建物も、門司港レトロの再生事業の話が持ち上がらなければ、取り壊す予定だったのだとか。こうした建物の良さを皆で共有して、つまらないビルに建て替えられないようにしたいものです。

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2012年5月 5日 (土)

梅春園(台湾料理)

台湾料理というと、中華系の中でもあっさり・さっぱりした味付けで日本人の口にも良く合う料理が多いので、職場の会合でもしばしば三宮の蓬莱亭を利用するのですが、今回はすぐ近所にありながらより私好みの梅春園をご紹介します。

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お店の場所は生田新道沿いで、東急ハンズ三宮店からJR三ノ宮駅側へほんの少しだけ歩いたところ。「梅春園」の白文字が染め抜かれた赤い暖簾が掛かっています。内部は1階がカウンター12席のみ、2階には4人掛けテーブル席が少々という小さなお店ですが、この辺りでは結構な老舗だそうな。

ここのウリは、なんといっても一口サイズの餃子(写真奥)。もちっとした皮の片面をパリッと焼いてあり、中にはニンニクを使用しないであっさり仕上げた餡が入っています。それを、特製の味噌だれでいただくわけです。ニンニクを使わないので、おそらくオイスターソース等でコクを出しているものと思われますが、このあっさりした味わいを求めて長年通い続けるファンが多いそうです。この餃子、テイクアウト可で(もちろん特製味噌だれ付き)、冷めてもおいしいのがもうひとつの特徴。私自身、たまたま参加した持ち寄りパーティーで参加者の持ち寄り品からいただいたのが最初だったのですが、普通の餃子と違って脂っぽくないので、冷めた状態でもおいしくいただくことができました。

もちろん、ほかのメニューもオススメです。平打ち麺であっさりした出汁がよくからんだ焼きそば(写真手前)とか、定番の空心菜炒めとか、ぜひお試しを。

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2012年4月29日 (日)

こんぴら狗

こんぴらネタをもう一つ。

久々に金刀比羅宮を訪れると、こんぴら狗グッズに新顔が。

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なんともかわいらしい、陶器の犬のストラップです(お守りとセットで売られています)。

お守りの部分は要らないんだけどなぁ、などとバチ当たりな感想を抱きつつ、でもやはり(和)犬好きとしては見逃せないので思わず購入。

ところで「こんぴら狗」とは何ぞや?と思われた貴兄に簡単に説明しますと、昔、金毘羅参りが庶民のあこがれだった頃、自らが参拝できない人が飼い犬に代参させたことに由来するそうです。首に飼い主を記した木札や初穂料および犬の食費などを入れた袋を下げて、金毘羅方面へ向かう旅人たちに(ヒッチハイク的に?)世話してもらいながら代参の役を果たしたのだとか(金刀比羅宮のHP参照)。この犬も、首にマル金印がついたオレンジ色の袋を提げています。

こんぴら狗の代参は、なんとも人情味あふれるイイ話ですが、初穂料と食費を旅人に持ち逃げされたり、旅先でその犬を気に入った人が自分の飼い犬にしてしまったりして、代参を果たせないケースが多々あったのではないかと、あれこれ想像してしまって、人ごとながら心配になります。

ちなみに、境内で「こんぴら狗開運みくじ」をひくと、中にはおみくじと説明書きのほかに、縁起物の小さな金色の犬が入っています。

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身につけていると運が開けるとの触れ込みなので、あまり信心深くない私もいつも財布に入れている次第。

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2012年4月27日 (金)

金刀比羅宮の組物

先月、何年振りかで、讃岐の金刀比羅宮へ行きました。

江戸時代には金毘羅参りが、伊勢参りに次いで庶民のあこがれだったそうですが、今でも立派な観光地で、参道には土産物店がずらりと建ち並んでいます。

さて、金刀比羅宮の拝殿・本殿は明治の初めのころ(1878年)に再建されたものです。

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拝殿の棟が十字に交差し、本殿の棟はT字に交差するというやや特殊な形式をしており、なんでも「大社関棟造」とかいう大層な名前が付いている形式だそうな。おそらく切妻平入の拝殿の前後(本殿は前のみ)についていた千鳥破風が、いつのころからか巨大化した結果生まれた形式なのではないかと勝手に想像しています。

以前から不思議に思っているのですが、ここの社殿には、他所では滅多にお目にかからない奇妙な特徴があります。とはいっても、上記の社殿形式のことではありません。軒下の、組物のこと(↓写真)です。

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寺社建築を見慣れている人ならすぐに気がつくと思いますが、ここの社殿では肘木の角を一切丸めていないのです。日本に限らず、中国や朝鮮半島の古建築と比較してみても、これは極めて例外的なデザインです。なぜ、こんなデザインが用いられたのでしょうか?

以前、寺社建築に詳しい某先輩に意見を伺ったところ、「再建途中で、お金が無くなっちゃったんじゃないの?」という説を唱えておられましたが、真偽のほどはまだ確認しておりません。私はこれを見るたびに、子どものころに遊んだ箱根細工のパズルを思い出すのですが、直線的なピースのみで幾何学的に積み上げられた細部は、伝統的デザインの落ち着いた風情よりも、むしろ前衛や近未来的な雰囲気を感じさせるような。20年近く前に初めて見たときには衝撃的で、キモチ悪く感じたものです。意識的にこのデザインを採用したのだとしたら、工匠はいったいどんな意図を込めたのでしょうか。

実は境内社の厳島神社においても、通常ならば象鼻などで飾られるべき水引虹梁の両端が、なんの加工もせず角材のまま切り落としてあるのですが、虹梁絵様は彫られているので、そちらのほうはいかにも「途中で力尽きました」という感じです。そちらも併せて考えると、やはり資金切れ説が有力かもしれません。

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