十輪院本堂の組物
用事で奈良へ行ったついでに、奈良町の十輪院に寄ってきました。
鎌倉前期に建立された本堂は、背後の石仏龕に対する礼堂となっており、日本では大変珍しいものです。本尊の地蔵像が平安末頃に作られ、鎌倉前期に石仏龕として整備されて礼堂としての本堂も建てられ、さらに鎌倉後期になって、石仏龕の覆屋と本堂が接続されたとのこと。この仏堂は前面を住宅風に蔀戸とし、ゆるい屋根勾配も相俟って、穏やかで落ち着いた風情に意匠がまとめられているので、個人的には奈良の中でもいちばんのお気に入りです。
鎌倉時代前期に遡る遺構らしく、大面取りの角柱や、原初的で標本的とも言える本蟇股などが見られる一方、輸入されて間もない南宋様式(大仏様)の木鼻も見られ、ディテールもなかなか興味深いものがあります。
特に珍しいのは、軒のディテール。肘木の先端を軒先側に延長し、直接軒桁を支えるという構法は、寺院建築の組物の常道から外れており、非常にユニークな手法だと言えます。なぜこのような納まりになったのでしょうか?
通常、柱位置より一手出た位置で軒桁を支えようとする場合、肘木先端に巻斗と秤肘木を載せ、さらにその上に巻斗を三つ並べた上で軒桁を受けます。ちょうど、こんな感じ↓
出組と呼ばれる組物で、これは三十三間堂(京都・1266年)のものです。一見してイカツイ雰囲気になっていますが、重要なのは組物と軒桁の高さの関係です。出組にしてしまうと、壁付きの三斗よりも一段高い位置の三斗で桁を受けることになるので、軒高がその分高くなりますし、壁つき部分でも、三斗上に通肘木を介してさらに巻斗と実肘木を重ねて高さを稼いだ上で桁を支える必要が出てきます。部材も手間も余計に必要な上に、軒高も高くなり、より威圧感のあるデザインになってしまうわけです。
そんなわけで、おそらく住宅風の優しい外観にまとめあげるために、いかめしい組物を見せずに軒高を抑えることを意図して、この特異なデザインが採用されたものと想像します。もちろん手間や材料費の節約という側面もあったかとは思いますが、一方で軒を支えるのに垂木を用いず、厚板で屋根荷重を受けている点などは、優しげな表情にまとめるためにあえてコストがかかりそうな手法を取っているようにも思えるので、経済的な要因がすべてではないように感じます。鎌倉時代の工匠の、デザインに対する執着や意気込みを感じさせる建築ですね。
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